2008/10/05

卒論

サミュエル・ベケットのクワッドについてかこうとしてるのですが、スーパー楽天主義なのかただの馬鹿なのかあさって卒論中間提出というのに目次すらかけてないという。。。読むべき本は15冊、ザ・山積み。

せめて目次とabstrucction的なものは書いておくとこまでいかなきゃ/

標題は「クワッドから考える人と機械のインタフェース」(ここからしてもはや教育学部英語英文学科とは関係なきにしも、、ない?)

概要としてはこんな感じ:

まず、'人' と '機械' の定義・認識についての歴史をひもとき、今回の議論における機械と人の関係性(人の身体性)やそれらの定義を掌握する。それから、クワッドがテレビというメディアを選択した意図、クワッド独特の構成とシナリオ(反復、リズム、音、幾何学的要素)、生命システム(粘菌)との類似点を考慮して、クワッドの演者は機械、人間のどちらでもないような存在(境界者)=インタフェースであることを指摘する。そこから人と機械をつなぐインタフェースの事例を挙げ、比較しつつ、その必要条件をあぶり出す。


僕の興味以外の何ものでもない感じです。英文学どこいった〜〜?

まぁ、途中までの仮目次はあるのですが、
とりあえずそれらすべてを見せた上で先生に指摘されたのは、演者が機械か人間か議論するまえに、クワッドの位置づけや演者自体がそもそも演技者なのか、クワッドは演劇なのか?不条理なのか?とか、もっと、布石というか、読者が何も知らなくて、初めてよんんでもわかるように、1から10まで細かく導いていかないといけませんよっていうことでした。

確かにって感じです。

今までかなりマニアックに考えすぎてたから、はじめに抱いていた疑問もなんか既に解決してしまったかのように錯覚してしまって、先走りすぎてたス。また、1から考え直そうってというか、また丁寧に考えてきた道順をたどってみようと思ったのです。

論理的に論理的に。。

2008/10/02

ARって

なんの略さ。

http://www.nicovideo.jp/watch/sm3342507
電脳コイルの世界。。

くるのかなぁ。生きてる間にそういう世界はこないかなぁ。

どっちにしても、こういう技術は開発とかするよりもこれは使う側になりたい。

というか常に使う側(中間的に)なりたい。
エンドユーザってわけでもなく、ファームもらってうまく使う立場っておいしいな。

東大研究室まではいかないけれども、東京工学院まではエンドユーズ的にはならないよーな(狭い尺度。。)。

半分は人が考えたものだけど、半分は自分のものみたいな。

しかし、思いついたらやってかないとなにもできないなぁ。

このあいだの音デバイスもいまんとこ仕事にとられてやれてないし。

あとDJし過ぎだし。

とにかくアイディア帳にはメモメモ。後で一気に。。っていつまでためんのやら。。

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目指せネイチャアプログラマ!Objective-C/Cocoa、web系スキルも絶賛習得中。Nature Interfaceに興味ありあり。
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